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×本当に無駄なことばかり
絵日記ってなんぞや? と思って、使ってみました ↑ いーざーやー
そういえばこんな機能がいつの間にかシノビにあったんですね。
絵日記っていうか、ペイント並な感じですねーお絵かき掲示板並のクオリティを求める方が酷か。
昨日の夜から、さっきまで、島にいってました。
島にいってちょっと海の生物と戯れたり、色々。生臭いのも船も苦手なのでなかなかしんどかったですが、まぁ楽しかったかなぁ。ほとんど飲んでませんが、お酒も美味しかったので良かった。
別の海(インテ)に行っていた方、お疲れ様でした。
ちょっとは涼しくて良かったのかな? 人はすごそうですね。本当にお疲れ様です。
なんだか時々どうしようもなくテンションが下がるというか、 ぽやーとした気分になる。
そろそろ、色々考えなきゃいけない時期なのかもしれないな、とも思い始めている。
「なんでもかんでもやりたいって、欲張りすぎなんだ」
と言われたことがあります。実際そうだなぁ、と思うので、しみじみ。
本読みたい、ゲームしたい、オタクしたい、遊びに行きたい、友達と旅行したい、勉強したい。
特に、ゲームかオタクか遊びに行くか、あたりに重点を置きすぎていて(笑)
こんな風にぽやーと考える日が定期的に来ますね。
ぽややー。(・´ェ`・) ・・・この顔文字可愛いな。
楽しいことだけ感じて生きていければ楽しいけれど、そうはいかないからこそ、楽しいことがあるんだろうなぁ。
ん、違うか。そうはいかないからこそ、楽しいと思えるんだろうなぁ、かな。
楽しいことだけ感じていたらと、考えるけど、そうなってしまったら、その楽しいことのなかでも優劣をつけるようになってしまう気がします。はて、何言ってるんだろう。
書いていて自分でもわかんなくなってきた。
とある友人の文章がとても好きで、彼女の日記とかを読んでいると、とても不思議な気分になります。
同じこの世を生きているはずなのに、彼女の目にはきっと私とは違う世界が見ているんだろうな、と。
思うと、不思議なような、うらやましいような。同じものを見ても、違うものを感じたり、違うものが見えたり。私が気付けないようなことを、見えて、それに心を動かされたり。
日記を読んだ後に、きょろきょろ周りを見渡したくなる。
私は一体、どれほどのものを見逃して生きているんだろう。
そんなこと思ったところで、彼女に見えているものが私にも見えるようになるかっていうと、そうでもないんですよね。悲しいことに。
でも全部全部見えてしまったら、きっと泣きたくなるようなものも見えてしまうんだろうなぁと思うと、今のままでいいのかな、なんて思ったり。
なんだか複雑だ。ほんと何言ってんだ。
臨帝を書いていたり、骸を書いていたり、書いている時に、喋らせるセリフ、思うことを考えていると、どうしてもそれは私の感覚だったり、考えていることになるわけですが。臨也を書いていると、その理屈っぽいセリフが、多分私の考えていることがモロに出ているのかもしれないなぁと思います。
当然ですが、私の書く臨也は、原作の折原臨也というキャラを借りているけど、しょせん私が書いたものなわけで。折原臨也という看板だけ無断で拝借して動かしているキャラクターな訳ですよねぇ。
だからどうにも理屈っぽさとか、卑屈っぽさとか。妙な後ろ向きな考えが入り込んでしまう訳だ。
でも文章書くのって、なんだかんだ楽しいのが不思議です。
今回の新刊、発見した情けない誤字。
追いかけられて欲しかったの?
追いかけられたかったの、と追いかけて欲しかったの、が微妙にまじって愉快なことになりました。
読んで下さった方は、そっと「ああ、混じったんだな」と生温く笑って頂ければ幸い。
眠かったんだろうね、校正の時。
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